メンタルトレーニング ~易経 潜龍の教え~

易経には、昔の人の知恵が詰まっている。

 

「潜龍」の教えを考察する。

「潜龍」とは、龍の能力は秘めているがまだその時を得ず、力もなく、世の中に現れることが出来ない龍のことである。潜み隠れているので誰からも評価をされることもなく、その気配すら感じられない。自分自身も世の中が見えていない状況。

のちにリーダーになる素質は秘めているものの、まだ世間の現実を知らず、知識も経験もなく、地位、実力、人脈など実質的には何も備わっていません。

将来性も全く感じられません。

こんな境遇の方は大勢いらっしゃいます。

むしろほとんどの方が上記のような人生を歩んでいます。

 

ではどのようにすればいいのか。

時が来るまで待てばいい。もちろん何もしないというわけではない。下準備を黙々と淡々と行う。

何も成果に結びつかない時に下準備をするのは容易ではありません。下準備なので大して面白くありません。その時に必要なことが「志」です。自分がどうなりたいのかを考える。志は出来る、出来ないといった類のものではありません。すぐに揺らぐようなもであってはいけない。必ずやり遂げると覚悟するものでなければならない。

潜龍の時でなければ、「志」は立ちません。

それは、知識も経験もない。力も何も持ち合わせていません。だからこそ挑戦できるのです。

経験を重ねると、この先どうなるのかは見当がつきます。チャレンジ精神に待ったをかけてしまい。行動することが出来なくなります。

潜龍の多くは、龍になることなく人生を終えていきます。周りの大人に邪魔をされます。親、教師などが代表です。すぐに「出来るわけがない」と一刀両断です。そして子供も楽なのでチャレンジをしません。日本の教育そのものの欠点です。

昔と違い、がむしゃらに働けばいい時代ではなくなった。問題を解決が出来る人が重宝される時代は終わり、問題解決能力から問題発見能力を問われる新時代に入った。もう昔のやり方ではどうにもならなくなっている。その時代の変化についていけていない人がトップに君臨しているのも事実である。

今こそ力を貯めて、質を向上させてその時が来るまで辛抱強く待つ。必ず大輪の花が咲きます。

そのための信念と地道な努力が必要となってくる。

想いはあるが、それに見合う努力が出来ている人はほとんどいない。成果の出ない人は、本当に努力をしない。そのくせ成果が出ないと嘆く。滑稽でしかない。自分の好きな事しか行わず、自分に都合の良いことのみを進んで行う。すべて中途半端。だからすべてにおいて成果も得られない。

この潜龍の教えを考えてほしい。今は何者でもないからこそ、何者にでもなれる可能性がある。そのために努力をして、然るべき時が来るのを待ち続ければいい。