正解のない時代にどのように生きるのか。
正解ではなく、どのようになりたいのか。
それが本質です。自分なりの理論を立てて検証する。私はいつもそうしている。だから結果にはこだわらない。自分がどのようにしたかったのか、それがどのような成果を生んだのかを検証する。
これは、スポーツでも勉強でもすべてが同様です。
以前、ソフトテニスの試合を観戦していた時。となりに指導者さんがいて、「なんであんな攻め方をするのか」と怒っていた。そのラリーで向こうのミスでこちらに点が入った。その合間に選手に声を掛けるのだが何もコメントをしない。それは結果点が入ったらだ。点が入るとコメントがない。こんな指導者に未来はない。
理論がない。成果ではなく、過程が問題だったのにも関わらず、コメントをしない。これはどこの競技もよく見る風景である。この風景を見るとうんざりする。
結果がよくても過程に問題があれば立ち止まって考える。そしてチャレンジをする。
これが必要である。多くの現場で見る機会が少ない。
以前野球の現場で、過程について徹底的に確認している指導者を見かけた。本当に感動した。なぜこのような指導者が増えないのか。本当に疑問である。いまだに30年前と同じことをしている指導者、間違っていることは分かっているが声をあげられない現場。仮に指導者を変えてもまた同じような指導者が来る。それは本当に不幸なことだ。ムーヴにたどりつくこともない。間違っていること、疑問に思うことに声をあげられない人が私には辿り着かない。本心は今を変える気がないからだ。
私は頑張っている人が報われる世界を創りたい。
ただそれだけが望みである。
努力が中途半端であっては報われない。
正しい努力をする。これだけがなりたい自分に近づく唯一無二の方法である。
興味のある方はお気軽にお問い合わせください。