いまだに無くならない、教育者、指導者の暴言、暴力に疑問を感じます。
よく見る光景で言えば、試合で負けた時一方的に学生、選手が怒られる。これ間違っていませんか。私が指導者をしていた時は学生にこんな言葉を伝えていました「試合に負けたのはすべて指導者の責任だから思い切ってやらばいい」父兄にも伝えていました。そして試合中に怒ることもない。次の練習につなげる大事な資料でしかない。
だからこそ私が指導していた時は応援の父兄も多く、練習にも時間があれば父兄が足を運ぶ光景が見られた。多くの競技で試合中に怒鳴り声が聞こえる。試合終わりにも無駄に選手が責められているのを見たと時に「指導者に責任はないの」と言えれば日本も変わると思う。
不思議な光景はスポーツの現場だけではない、学校、塾などでも同様である。指導者の技量がないのに生徒が怒られている姿を見るとがっかりする。勉強をしたくない。テストで点が低い。これはすべて指導者の責任です。
私はそう思っています。なぜ勉強をするのかを伝えていない親、教育現場の責任は大きいと思う。
間違っても将来困るからではない。
全く意味が分からない。
こんな時期だからこそ勉強をする意味について考えてみたいと思う。