本文より
「聖人の『こだわらなさ』を知る」
賢い人というものは、
たいてい権力者からの心づけとか、接待を受けようとせず、”媚びない態度”というものを貫こうとするものです。
それで出世の道が遠のき、
思いがけない嫌がらせを受けることもありますが、清潔なイメージを保つことは出来ます。
「あいつは金や権力に汚い奴だ」と罵られるよりも、よほどましだと思っている人の生き方です。
しかし、いわゆる「聖人」と言われるレベルの人となると、全然そういう態度ではないようです。
気にせず、受け取りますし、招かれます。
かの孔子もそうでした。
思うのですが、本当に素晴らしい人物は、何もこだわらないのですね。
まるで鏡のように澄み切った心で、
どんなことも、どんな人も、あるがままに受け入れてしまう。正義感あふれる人と会うときには、
その正義を楽しみますし、礼儀正しい人会うとき
には、その礼儀を楽しみますし、相手が正義も礼儀もない人だったとしても、たった今、正義や礼儀を身につけたというなら、
以前におかした罪や、無礼をとがめることもありません。もちろん、「また悪さをするんじゃないか?」
「礼儀正しいのも今だけじゃないのか?」と疑うこともしません。つまり人をジャッジないんです。しかし、ここまで態度の清らかな人物は、よほどの心の持ち主だと思います。
私もこの境地まで達してみたいものです。