本来の平等とは、「機会」を与えることである。
チャンスの数である。
それが、最近は「結果」を平等にしようとしている。おかしなことになっている。
あくまでも「平等」は、機会であって、結果ではない。結果には差がでる。これはある意味では「平等」である。
先日、頑張っている学生の足を引っ張るような話しが報道されていた。
コロナ禍で痛感しているのが格差です。
「機会損失」はあると思うが、人の努力を非難するようなことがあってはならないと思う。
努力をしている人が、努力もしないでいた人と一緒にする必要は全くない。同調圧力を感じる。
なぜ頑張っている人の足を引っ張るのか。
どんどん格差が出る。さらにその格差は広がる。いかに埋めるのか。それは個人任せにせざる得ない。
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