普通、人間は自分の後ろ姿を見ることはできません。鏡があっても難しい。同じように自分自身を客観的に見ることは、上の立場になったり、成功体験があったりすればなおさらでしょう。
世阿弥は『花鏡』に、演者は3つの視点を意識することが重要だと書いています。
1つ目が「我見(がけん)」。役者自身の視点です。2つ目が「離見(りけん)」で、観客が見所(客席)から舞台を見る視点を指します。3つ目が「離見の見(りけんのけん)」。これは役者が、観客の立場になって自分を見ること。客観的に俯瞰して全体を見る力です。
世阿弥は、観客から自分がどう見られているかを意識しなさいと説いているわけですね。その視点を頭に置くのと置かないのでは、観客への伝わり方は全く違ってくるでしょう。
離見の見にて見る所は、すなはち、見所同心の見なり(『花鏡』舞声為根)
役者は演じながら、同時に観客にはなれない。けれど観客と同じ気持ちになろうと努力することはできる。この努力が実を結ぶことを「見所同心」と世阿弥は表現しました。ただ、いずれも容易ではない。その難しさを誰しも理解するからこそ、世阿弥のこの言葉が時代を超えて長い間語り継がれてきたのでしょう。
あなたの常識は、誰かの非常識
世阿弥の考え方を仕事に当てはめてみてください。みなさんは、離見の見を意識してお客様や上司、部下に接していますか。
仕事に一生懸命な人ほど狭い業界の常識に染まりがちです。でもそんな「常識」の中には、お客様や若い社員にしてみれば、なぜそうなるのか分からない「非常識」なルールも多々あるように思います。
相手のことを分かろうとする姿勢が何より重要だと思います。お客様の気持ちを理解できなかったら、ビジネスは決して成功しない。お客様の気持ちが分かれば、売れる製品やサービスが作れると思います。
お客様はもちろん、上司や部下、同僚、家族やパートナーなど相手が誰であれ、およそ他者を理解する心に欠ける人は、仕事でも家庭でも満足感や達成感を得ることはないでしょう。どんな世界でも離見の見の視点を持ち、独りよがりにならない努力を続けていくこと。これが成長の条件なのかもしれません。