今の世の中は「原因論」が中心であるということです。何かが起こった時(それはたいてい良くないことが起こった時に)人は必ず原因を追求します。原因を明らかにするというメリットは確かにあります。例えばモノを管理したり出荷したりする部署でミスが起きた場合、なぜそのミスが起きたのか?という原因を明らかにしておくことで、再び同じミスが起こるのを防げるかもしれせん。
しかし、世の中のありとあらゆることに「原因論」的アプローチが通用するわけではないというのが、アドラー派の言い分です。アドレリアンの間でよく言われるのは原因論は「問題を解説する」のには役に立つが「問題を解決することはない」というものです。これは誤解のないように言っておくと、人(の心理)に用いられた場合の話です。
それでは原因論と目的論の違いを説明しましょう。
原因論と目的論は、実は立っている場所は同じです。立っている場所とは、「今ここ」です。原因論と目的論は、「今ここ」に背中合わせで立っていると思ってください。
そう、原因論と目的論は背中合わせに立っているので、向いている方向が違うのです。原因論が「過去」を向いているのに対して、目的論は「未来」を向いている。つまり原因論と目的論の違いは「今ここをどうとらえるか」の違いなんです。
原因論は過去の方向を向いているので、「今ここ」にいる自分は過去によって作り上げられたものだと考えます。しかし目的論は未来を向いているので、「今ここ」にいる自分は未来の方向に導かれていると考えるのです。
例えば今直面している何らかの問題・課題があったとします。
原因論的にそれを考えるならば、この問題は「過去に起きた何らかの出来事」によってもたらされたものであると考えますよね。しかし目的論的にそれを考えるならば、この問題は「未来に向けて意味のある何か」だと考えるんです。
今直面している問題が未来に向けて意味のある何かだとしたら、じゃあどうする?という解決思考、解決に向かう態度が生まれてくる。つまり目的論は、ポジティブ思考なんです。しかし、未来は目には見えいわけです。そう信じるしかない。原因論がなぜ強いのかというと、過去は、自らが体験した(目に見える)真実だからです。いっぽうで、目的論は自ら作り上げたもの、つまりフィクション(虚構)なんです。
目的論は英語でTeleologyといいますが、これは「遠くへ」という意味と「学問」が組み合わさった言葉であると岩井俊憲先生は言っています。つまり目的論は「未来志向」であり、目に見えない未来(ビジョン)を信じて行動するという意味があるのです。