山中鹿之助の言葉

山中鹿介の名で親しまれていますが、山中幸盛が正式名称。中国地方で毛利氏と争った戦国大名、尼子氏(あまごし)に使えた一武将です。

 

不撓不屈とは、彼のためにある言葉といっても過言ではないでしょう。
そんな男の最も有名なエピソードが、「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」です。尼子氏再興のため、失敗と再起を繰り返しながら戦う鹿介の眼前には、苦難の道しかなかった。しかし鹿介はさらに一層の苦難を求めて、神に祈りました。主家再興は、彼にとってそれほど高い「志」だったのでしょう。
目に付きやすい大勝利とか大成功とかではなく、生きる姿勢で私たちを魅了する人物がフランスにもいます。モラリストであり文学者のフランソワ・ド・ラ・ロシュフコーです。17世紀のフランスで、名門貴族の生まれでありながら、多くの戦いに参加し、志を曲げることなく、最後まで負け続けました。
ラ・ロシュフコーの手による『箴言集(しんげんしゅう)』にこんな言葉があります。
「どんな不幸な出来事でも、有能な人物はそれをアドバンテージに変える。いっぽう思慮のない人物はどんな幸運をも災いにしてしまう」
「敵に欺かれ味方に裏切られ、さぞかし無念だろう。だが私たちは自分に裏切られても平気でいられる」
 
己の「志」に忠実でいること。「志」は己のためにあるのではなく、また結果が重要なのでもなく、「志」を立てたというその事実がすでに尊いのではないでしょうか。
 
何度やっても成功しないときなど、「もういい加減にしてくれ!」「もうやめた!」なんて思ってしまうのが、正直な気持ちでしょう。しかし、そんな正直さが実は「自分を裏切っている」ときもある、そのことを鹿介も知っていたのではないでしょうか。だからこそ、「我に七難八苦を与えたまへ」だったのだと思います。
 
「我に七難八苦を与えたまへ」の原点は大乗仏教の経典『仁王経』にあります。「七難即滅七福即生」、苦難はすなわち幸福である、と説かれています。出来る人物は、それをアドバンテージに変えてしまう力があるということですね。
 
「勝ちにこだわる」結果が、「どんな手を使ってでも勝つ」に転落してはいけません。こだわりはむしろ、何度でも立ち上がる、不撓不屈、この一点に絞るのです。「勝ち」も「負け」もある意味、天運。私たちが自分でできることは、自分の立てた「志」を裏切らないこと、踏み潰されても決して折れないことなのではないでしょうか。人間とはともすれば挫け易いもの、そんな私たちだからこそ、山中鹿介はいつでも見守っているのでしょう。